平成懐徳堂

「すごい」の記録と共有。

『CUVE』/皮肉、放任主義、希薄な可変要素

 ふと目を覚ますと、立方体をした空間に一人。各面に扉が一つずつ。いずれかを開けてみると、また同様の部屋が広がっている、、。彼は仲間を見つけ、彼らと助け合い啀み合い、その不気味な施設からの脱出を目指す。そんな誰にでもある*1経験を描いた映画。

 

 誰が何のために、彼らをこうした状況に陥れたのか?我々視聴者はそれを疑問に思う。況んやCUBEに閉じ込められた登場人物たちをや、である。
本作品の主題は、この疑問の答えを解明することではなく、この疑問に対する、各個人の向き合い方の描写にある。

 ある者は自分に罪がないにも関わらず閉じ込められたことを嘆き、ある者は一歩進んで、悪の親玉…例えば政府や多国籍企業…の存在をあれこれと考える。

 またある賢明な者は、議論をあれこれと巡らせることなど無意味で、とにかく出口を見つけようとする。僕はどちらかというと合理的な考え方を好むので、そうそうそれがいいよ、と思った。というか、前者のような考え方をする人々が極めて感情的に描かれるので、どうしてもこちらは愚かなように我々の目には映る。

 しかし印象に残るのは、デヴィット・ヒューレットが演ずる無気力な男、ワースの主張だ。彼はエンジニアとして、CUBEの設計に関わったことを打ち明けている。以下日本語版字幕の引用。

「理解できまいが、陰謀などない。誰にも責任はない。計画を誤ったための愚かなミスなんだ。分かるか?悪の親玉などいない。……建造の目的は、どこかに行っちまった。これは忘れられた永遠の公共事業さ。誰も尋ねない。大事なのは保身と給料だけさ」(37:20ごろ)

 彼が言いたいのは、とにかく現実的に目前の問題に取り組む姿勢こそが、自分たちを包む立方体を産み出したのだということだ。ワース自身を含め、CUBEを作り上げた一人一人でさえ、これが一体何であるのかを知らない。しかしそれは、目の前の問題だけに懸命に(保身と給料のために)取り組んでいたからこそなのだ。それはまさに、CUBEに閉じ込められた6人の態度と同様である。ここに皮肉がある

 

 さて、それならワースの言葉が冒頭の疑問の回答たりうるか、というと、そんなこともない。最後まで彼らが閉じ込められた意図は明かされないのであって、ワースの態度もまた、作品中では一つの考え方に過ぎないのである。設定そのものへの回答も無ければ、設定への向き合い方についても正解が示されない。こういう放任主義が、僕は割と好きなのだ。

 辛辣に言ってしまえば、「CUBE」の人物設定には深みがない。それぞれに脱出のキーとなる職業や能力が与えられていて、各人物はその役割に合わせたステレオタイプな性格をしている。これも個人的な印象ですが。

 でもだからこそ、余計な要素が切り捨てられて、「考え方」だけを並列に比較できる。要するに可変要素が希薄なので、一つのテーマが上手い具合に浮き彫りにされている

 

 こうした「含み」としての主題がある点で、「CUBE」は其処らのサスペンススリラーとは一線を画すと思う。
 大事なことが最後になってしまったけど、設定そのものが面白いんですよ。長々と余計な詮索をさせるだけの、魅力がある。

*1:僕にはいまのところない。